「パパ、やきんにいかないで」
看護師時代、夜勤に出勤する前に
かわいい3人の子どもたちにしがみつかれました。
この言葉を本気にしたことがきっかけで
僕は副業でWebライターを始めました。
そして、副業ライターの3年間を乗り越え・・
2023.8.31
僕は14年間続けてきた看護師を退職。
今では
最高月収70万円を達成し、
子育て中のライターから相談を受けている看護師ライターです。
幼稚園や小学校の行事には
すべて参加し、楽しい毎日を送っています。
申し遅れました。
僕は、しょうたパパです。
この度は、僕のプロフィールのページまで足を運んでいただき
ありがとうございます。
これまで僕は
自分をさらけ出すことがなかったので、
ついにそれらを発表しようと思います。
僕自身、ドキドキです。
ワクワクもしています。
Xの普段の発信だけでは語られない
僕の本当の姿、裏側、腹黒いところも?
全部見せていきます。
どうぞ、お楽しみに。
さて、
このプロフィールページでは
ほかでは”絶対に”言わない
- 僕の生い立ち
- 僕のこれまで
- 僕のこころの動き
全部、語ります。
「なぜ看護師からWebライターに転身したのか」
「なぜ子育てライターを助けたいと思っているのか」
も語ります。
Webライターとして活動していくなかで出会った
”看護師でも子どもの隣が職場に”
この想いを全身全霊で語ります。
しょうたパパ渾身の「自己開示」。
ぜひ、最後までご覧ください。
*****
あらためて。
僕しょうたパパは
どんな人間か紹介すると
長崎県出身で今でもドラゴンボールを愛する30代の男性です。
3人兄弟の長男で、今でも毎年のように家族旅行をしています。
そして
- 妻(30代)
- 長男(8才)
- 次男(6才)
- 長女(4才)
3人の子どもに囲まれながら
家族5人で仲良く暮らしています。
ほかにも、僕のことをゴリゴリの箇条書きで紹介すると
- 看護師、保健師、保育士の資格を持っている
- 看護師歴14年で集中治療室、心臓血管外科などに携わる
- 「認定看護管理者研修」に行ってすぐ看護師を退職した
- 副業で月に20万円以上稼いだ
- ママさん、パパさんのライターの相談にのっている
- 超大手の転職サイトで連載を持っている
- ベジータのような陰のある2番手が好き
- ほぼ毎日子どもと公園で野球したりブランコしたりしている
- 次の目標は島暮らし
こんなラインナップを見ると
「イマドキの働き方でいいやん!!」
「めっちゃ楽しそうやん!!」
と思うかもしれません。
ですが、
案外そうでもなくって、
僕は「子どものために在宅で働く」とライターを始めたものの
副業時代の3年間は全く稼げず。
寝る時間を削って
飲み会にも行かず
テレビも見ずに
すべてを執筆にあてても、せいぜい月に5万円くらい。
Webライターを何回も辞めようと思いました。
子どもといたいのに、子どもがいると執筆できない。
「子どもに時間を奪われる」
「子どもがジャマだ」
とさえ思ったことも・・・。
正直、僕は
読者が好きでもなく、文字を書くのも好きでもありません。
「子どものために」「家族のために」という信念だけでやってきました。
どうして僕のような人間が
ほかのママやパパのライターに
「家族との時間を楽しめるようにしてあげたい」
「子どもともっと笑顔で過ごるようにしてあげたい」
「看護師がしんどいときに辞められるようにしてあげたい」
このようなことを
思い続け行動しているのかというと
これは僕の
- 生い立ち
- 生き方
- 生きていき方
に大きくかかわります。
少し長くなりますが、
その話をさせてください。
思えば、僕はずっと
「子ども、家族を大切にしたい」
と思っていました。
この想いを実現できる方法を
探していたんです。
その始まりは、
子どものときから。
********
スポーツに明け暮れた小中学校時代
スラムダンクの三井寿にあこがれ
小学校3年生のときに入部したバスケ部。
あまりにも夢中で
毎日6:30には学校に行って
バスケの練習を始めていました。
さらに
- 給食を5分で食べてバスケ
- 放課後、練習がなくてもバスケ
- 練習後に帰宅してからもバスケ
そんな小学生時代。
副キャプテンでしたが、僕はバスケがそんなにうまくなかったです。
毎試合スタメンだけど
シュートを決めても4点くらい
なぜか、それでもスタメン。
「なんで僕がスタメンなの?」
こんなことをいつも考えていたから、
だんだんバスケがイヤになって
父さん、母さんに試合を見られるのが恥ずかしくなりました。
そして、
小学校6年の夏くらい
ついにスタメンを外され
いよいよ、バスケが本当にイヤに。
ヘタな姿をさらけ出すのが耐えられませんでした。
だから、バスケから逃げるように
中学校ではソフトテニス部へ。
ソフトテニス部に入ってから
- 平日は日が暮れるまで練習
- 土日は他県に練習試合
バスケのときと同じような部活三昧の毎日でした。
お休みは、お盆と正月の年に4日だけ。
僕は
責任感と義務感が強かったので
ほぼ皆勤賞。
そして、
中学校最後の長崎県大会で優勝して
九州大会3位になれました。
そして
引退試合を終え、
3年生お疲れ様会が開催され
そこで
みんなの前で引退のあいさつをしているときに
「うあーーーーー、
僕、めっちゃ父さんと母さんに愛されてるーーーーー」
と思ったら
あいさつできなくなるくらい泣いてしまいました。
僕はふと、思い出しました…
父さんは
毎週末、他県まで車出しをしてくれて
いつも応援してくれていました。
そして、母さん。
- 朝練後のおにぎり
- お昼のお弁当
- 試合のときのお弁当
母さんは
毎日1日も欠かさず、おにぎりとお弁当を作ってくれました。
母さんが熱出したときも
風邪引いているときも
必ずおにぎりとお弁当がある
だから、
パンを注文した記憶がない
こんな、
父さん・母さん見たことありますか?
父さん・母さんの口癖は
「家族は大切にしなさい」
「兄弟3人しかいないから仲良くしなさい」
にも関わらず・・・
僕は
高校時代に過ちを犯すのです。
父さん・母さんへの”裏切り”
*******
荒れに荒れた高校時代
ソフトテニスの名門校にスポーツ推薦を狙うも
”不合格”
一般入試で
頭の良い公立高校にまさかの合格。
しかし、
僕は頭が悪い
試験でたまたまできただけ。
入学後、
必死についていこうとしました。
強い責任感と義務感から
- 学級委員をしたり
- 予習・復習をしたり
- よく発表したり
高校1年生までは
いわゆる優等生でした。
・・・・・
でも
相当、無理していました。
そして、部活。
高校にはソフトテニス部がなかったから
硬式テニス部に入りました。
でも
練習しても
練習しても
練習しても
全然、うまくならない。
「あれ?僕、中学生のときのチャンピオンだけど…」
うまくいかない部活と、
ついていけなくなる授業。
だんだん僕のストレスは溜まっていきました。
そして、反抗期・・・。
学校では普通に生活していたけど、
家に帰ると
「だまれ、ク◯ジジイ」
「うるせー、ク◯ババア」
父さん・母さんに暴言
2個下の弟とはケンカする毎日。
高校2年~3年まで
ひどい反抗期。
あんなに愛してくれている
父さん・母さんへの”裏切り”
「家族と兄弟は大切に」
この言葉をさっぱり守れない。
それどころか、
むしろ僕が壊そうとしている。
食卓でも僕一人いるだけで、
家族の空気が重くなるような気がしていました。
素直になりたい自分と
反抗したい自分
ずーーっとモヤモヤ。
そんななかで迎えた大学受験。
長崎大学に行けばいいのに、
「長崎を出たい」
「この家を出たい」
トヨタで仕事したかったから
工学部を受験することをひとりで決めて
父さん・母さんに事後報告。
奨学金を借りて県外の大学に通うことを
無理やり承認してもらいました。
しかし
センター試験で点数が全く足りず。
「ヤバい……これじゃどこにも行けない!」
そんななか、
弟のテニス仲間のお母さんから
”看護師いいよ。安定しているから”
この一言で看護学科を受けることに。
そして、
国立大学の看護学科に合格。
長崎を出ることが決まりました。
ただ、
この安易な考えが
私をこれから”14年間”も苦しめます。
*************
大学で感じた絶望
入学して1週間で感じた”絶望”
「あ、僕、看護学科は無理だ…興味ない…」
- シーツ交換
- 解剖生理学
- チーム医療
何も興味が持てなかった。
「看護観って…先生は何が言いたいの?」
「シーツ交換の練習したって何になるの?」
「チーム医療…どうせ医者の指示待ちでしょ?」
この頃には
反抗期も落ち着いてものの、
親の反対を押し切って来たのだから
「やっぱり大学辞めたい」なんて言えない。
だから
実習以外の
授業中はほぼ寝ていました。
そして、
迎えた大学4年生。
国家試験の準備を始め、就職活動。
僕は国家試験は受けても、
看護師になるつもりはありませんでした。
でも、それを大学の先生に伝えると
6ヶ月くらいずっと説得され、
「きっと集中治療室ならやりがいを感じられるよ」
という一言で
大学病院の集中治療室に就職しました。
*****************
親への後ろめたさから辞めれない看護師
で、やっぱり就職してからも
看護師に全然、興味が持てなかった。
「いやーーー、マジでこれ地獄だわ」
でも、
高いお金出して4年間も大学に通ったし
1人暮らしもさせてもらったし
奨学金は返さないといけないし
父さん・母さんへの
後ろめたさから辞められず。
出勤前に、
毎朝えずいていました。
毎日が本当に嫌すぎて
10分くらいえずいてました。
家ではさっぱり勉強しない。
気を紛らすためにお酒を飲んでばかり。
仕事行って
お酒飲んで寝る。
そんな毎日。
でも
看護師にはさっぱり興味はないけど、
「男なら出世しないといけない」
「男なら稼がないといけない」
という考えから転職することに。
看護師4年目のときに
心臓系の病気には興味があったので
全国でも有数の病院に転職。
しかし、この転職が
僕をさらに地獄に追いやるのです。
*****************
転職1年目で「親孝行したいときに親はもういない」と気づく
正直、
この転職は失敗でした。
僕の考えが甘すぎたんですよね。
転職すると、
急に新人と同じ扱い。
- カルテの使い方
- 注射の保管場所
- 処置の方法
何もかもわからない。
それで
病棟はめちゃくちゃ忙しいから
ピリピリしてて雰囲気悪すぎる。
「あー、なんで転職したんやろうか。大学病院に戻りたい…」
この頃には
えずくのもひどくなって、
お酒を飲む量も増えてました。
でも
「せっかく来たんだからちゃんとやらないと!」
と責任感と義務感だけで頑張っていました。
そして、
転職して1年目の
10月3日 16:00頃
医療事務さんに
「西川さん、お父さんからお電話ですよ!!」と呼ばれました。
「お母さんが会社で事故にあって、緊急手術だから急いで帰って来い!!」と父さん。
「いやいや、ウソやろ・・・」
急いでタクシーに乗って家に帰って
そのまま車をかっ飛ばして
200km先の長崎へ。
運転中は
「母さんが死ぬかもしれない」と
泣き続けていました。
正直、長崎までの道中のことは
はっきり覚えてません。
母さんの診断は
- 外傷性のクモ膜下出血
- 脛骨の開放性骨折
僕が病院に到着して
呼吸器につながれている母さんをみて
いろんな後悔が溢れてきました。
家族旅行に毎年出かけたり
年に何回も帰省したり
両親を、家族を、
大切にしてきたつもり。
だけど、改めて
「親孝行したいときに親はいない」
と。
だから
母さんが入院している間は
長崎から病院に通勤したり
夜勤明けで面会に行ったり
できるかぎりのことをやりました。
5回くらい足の手術を受け、
母さんが働けるまで回復できたのは
不幸中の幸いでした。
この出来事をきっかけに
僕はもっと家族を大切にしたいという
思いが強くなっていきます。
*****************
子どもが生まれ価値観が激変しWebライターへ
僕は
転職して2年目で結婚して
翌年には長男が誕生しました。
その2年後には次男、
さらに2年後には長女。
もともと僕は
子どもが大好きだったけど
自分の子どもの可愛さは破壊力がヤバい。
「なんだこれは!次元が違う!!」
「本当に同じ生物か!?」
「可愛すぎるやろー!!」
って。
この子どもの誕生によって
僕の価値観が激変。
僕は看護師はイヤだけど、
「男なら管理職くらいにならないと」と思ってたから
約6ヶ月間、認定看護管理者研修のために大学に通っていました。
でも
子どもの誕生により
管理職への思いは一切なくなり
「1分でも早く帰って子どもに会いたい」
と思うように。
仕事も定時ダッシュして
飲み会も断って
テニスも行かなくなって
とにかく
子どもとの時間を大切にしました。
職場に1分でも残るとイライラするくらい
定時ダッシュに命をかけていました。
それでも
看護師をしていると
夜勤に行かないといけない
休日も働かないといけない
お盆や正月なんて関係ない。
コロナのときだって、最前線で戦った。
さらには
朝7時から夕方6時まで子どもを幼稚園に預けることに
すごく違和感を覚えました。
「子どもを11時間も預けるのはおかしい」
「子どもと全然一緒にいれない」
「子どもが初めて座ったときにも立ち会えてない」
患者さんには丁寧にケアするのに、
家族、子どもとの時間がじっくり取れない。
やっぱり看護師で働くのは違う・・・・
でも、子どもの生活を守らないといけない・・・
ずーーーーーーっと
そう感じて悩みながらも
- そもそも看護師は辞めちゃいけない
- 定年まで看護師をしなきゃいけない
- 看護師辞めると親に顔が立たない
と思っていました。
ところが
元日にいつものように夜勤に行こうとすると
「パパ、やきんにいかないで」
しがみついて行かせないようにする子どもたち。
このとき僕は、
子どもたちを振り切るように夜勤に行ってしまいました。
泣く子どもたちをみて
「看護師の働き方は違う」
「在宅で働ける仕事をしたい」
と、初めて看護師を辞めることを考え始めました。
そして、その頃
リベラルアーツ大学の両学長がおすすめの副業を紹介していて
- せどり
- プログラミング
- Webライター
とりあえず、副業でこの3つをやってみました。
でも・・・
せどりは店舗に調査に行かなければならないから在宅でできない。
プログラミングは難しすぎて2週間で離脱。
残った、”Webライター”
これなら在宅でできるし、
即金性もありそうという理由で
CrowdWorksに登録。
子育てに興味があったので
しょうたパパとして子育て系のライターに。
すると、
初月で3,000円を稼げました。
1記事3,000文字で、10記事を納品して3,000円の報酬。
文字単価にすると0.1円。執筆~WordPress入稿まで。
いわゆるブラック案件だけど、
初めて自分で稼いだお金だし、
初月に3,000円もらえたので嬉しかった。
でも、
当然、看護師を辞められるくらいは稼げず。
僕は
必死に執筆するけど
3年間も副業で稼げない日々を過ごしました。
この3年間は
本当に苦しかった。
*****************
母親の急死をきっかけにWebライターの思いが強くなる
看護師の働き方に疑問を感じているものの、
Webライターで稼げないから看護師をしないといけない。
どうにかしたいのに、
どうにもできない。
しかも、当時は
認定看護管理者研修でレポートの評価が高かったから
自己流ばかりにこだわっていました。
- 日勤終わりの21:00~翌1:00まで
- 夜勤前の8:00~13:00まで
- 夜勤明けの10:00~12:00まで
- 夜勤の仮眠休憩の2時間
とにかく執筆していました。
そんな生活を続けていたとき・・・
2022.8.21
僕の36回目の誕生日。
母親が急死。
いつもなら
朝一番で「しょうた、誕生日おめでとう!」と
LINEが入っていました。
「今日はLINEがない・・・」
少し気になっていたけど、
僕の家族がケーキ出して
プレゼントくれて祝ってくれていたので
落ち着いてから連絡するつもりでした。
でも、よくよく考えると
「なんか胃の調子がおかしい」と
ずっと母さんは言ってました。
でも
内科にいっても
胃カメラしても
原因はわからず。
僕は
たまたま亡くなる1週間前に帰省していて
一緒にご飯食べたときに
「大丈夫よ。気の持ちようじゃない?」と。
あーーーー、本当に最悪ですね。
全然、
向き合ってあげてない。
母さんが事故をして
家族の大切さを強く思ったのに、
全然大事にできてませんでした。
母さんの急死をきっかけに
「絶対に独立して家族の時間を増やす!」
とあらためて決意。
ですが、
3年間全く稼げなかったので、
現状を変える必要がありました。
だから、
夫婦でハワイ旅行できるくらいの
お金を払って講座に入って、
家族5人でハワイ旅行できるくらいの
お金を払ってコンサル受けたり、
教材を購入したり。
すると、
収益がハネてようやく
看護師を辞められて
専業のライターになれました。
*****************
今ではママやパパライターに家族との時間を大切にしてもらいたい
専業のライターになって
- 最高月収は70万
- 最高文字単価は10円
毎月50万は安定して稼げています。
もちろん、
お金は家族を養うため、生活のために必要です。
ただ、
多くのお金は求めていません。
僕って生活のコストがすごく低い。
選ぶの面倒だから毎日同じ洋服だし、
使うのはコーヒー代くらい。
家族が生活に困らなければいいから、
1,000万稼ぐぞ!みたいな気持ちはありません。
でもね、
「家族との時間は大切にしてもらいたい」
この思いは誰よりも強いです。
だから、
僕がたくさん案件をもらってきて
それを子育て中のWebライターに振って稼いでもらいたいから
僕は稼がなければなりません。
僕は
子育てしながらWebライターをするのが
どれだけ大変か身を持って知っています。
看護師が本当にイヤ
でも、抜け出せない苦しみも知っています。
副業で稼げないときの
つらさを痛いほど味わいました。
僕みたいな
想いをしてもらいたくありません。
だから
- スキルゼロの人に案件を振ったり
- 子育て中の人に案件を振ったり
- 3時間かけてじっくり添削したり
- DMに2,000文字くらいで回答したり
- Zoomでお悩み相談に乗ったり
こんなことをしているんです。
すべては
家族、子どもとの時間を思う存分味わってもらいたいから。
これから
『看護師+oneのスキル』を身につけて
看護師がイヤなら看護師から抜け出せるように
僕が支えていきます。
子ども、家族のために働き方を選ぶ
それの手助けができるなんて最高じゃないですか。
”看護師でも子どもが隣の職場”
僕はこの想いを実現するために動き続けます。
*******
長々と
見ていただきありがとうございました。
想いのままに書いていたら7,000文字を超えていました。
こんなに
自分のことをさらけ出したことはありません。
「なんか分かるー」とか
「気持ち伝わったー」とか
「応援したーい」とか
共感することとか、感じたことがあったら
ぜひLINEでもXでも教えてくださいね。
ここから、
あなたの想いも実現できます。
一緒に楽しく学びながら
歩みだしましょう。
それでは
ありがとうございました!
2024.5 しょうたパパ